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「無相」の占法は「陰陽論」「造化論」に基づいています

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                                                                                                   こんにちは。 占いCafe&bar黒ねこさんのブログをご覧下さり、誠に有難うございます。   今年も残すところ半月を切りました。 色々と大変な事も経験させて頂き、考えさせられる事も多かったですが、 無事に来年を迎えられそうで「お陰様で」という気持ちに感謝しています。   世間はクリスマスムードで夜のイルミ ネーションが綺麗で目を楽しませてく れますね。   さて今回は、私の「占法」の事についてお話させて頂きます。 「黒ねこさん」では「無相」という占いの方法で相談者さんを鑑定しています。   「無相」は高知県の五千年続く占いの古流派、 「其仙流(きせんりゅう)」から学んでおります。   自然の理・法則により、物事には必ず「原因」があって「結果」があります。 占法にも「原理・原則」がないと偽物となります。   其仙流には他にも色んな占法が存在しますが、 それはどれも「陰陽論」と「造化論」が根幹にあります。   「陰陽論」と「造化論」とは何か?を、 これから簡単にですが説明したいと思います。  「陰陽論」「造化論」は中国が発祥の「易経」からの思想です。   「陰陽論」とは、自然は陰と陽から成り立っているという考え方です。 自然は天(陽)と地(陰)という二極(+と-)で成り立っています。 「男と女」「硬いものと柔らかいもの」「熱いものと冷たいもの」 「昼と夜」・・・ この自然の世の中が全て陰と陽に別れ、この二つが交わる事で生命、 物事が生み出されると考えられています。       「開運」に言及するならば、苦労(陰)があって、 良い未来(陽)の為の試練とし、 そこに「努力や知恵」つまり「成長」があってこそ 初めて「良い未来」は訪れるとした、 人の在り方の「在るべき道」を説いた「自然の理」です。       「造化論」とは、生み出して形を成し 、 さらに生み出していく・・・というものです。 形あるものはいつしか崩れ去るのが自然の理です。 これを「循環」と言います。   「生み出し続ける」思想があって大きな「循環」へと発展します。 これを「生々発展」と言います。 能く学び、能く経験し

「生き方」の意味は後から付いてくる

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  こんにちは。 占いCafe&bar黒ねこさんのブログをご覧下さり、 誠に有難うございます。 ここ数日、寒さが落ち着き12月に入っても凍えた感じがしません。 寒いのが苦手な私はとても有難いですが、もうすぐ来るクリスマスは雪が降ったらロマンチックなのにな・・・ と思っています。 雨が降ったらうっとうしいと思ったり、水不足だと報道されれば雨ふりを願ったり・・・                    人の「思い」って勝手なもんですよね。 ある相談者さんの例を今回はお話したいと思います。 40代半ばの女性で結婚されてまして、子供さんが中学三年と 四年生のお二人おられました。 子育てをしながら、正社員でお仕事を熱心に頑張られていらっしゃる方でした。 相談内容は、「離婚をするべきか、迷っています」と仰いました 。 聞けば、結婚当初から共働きでお財布は完全に別々だったとのこと。 ご主人が家賃だけを支払って、光熱費・食費は奥さんが支払っていたと・・・ それでも当時は別に異論もなく、問題にもしてなかったそうです。 ところが、子供が出来て働けなくなっても、そのスタイルのままだと! 生活費は自分の貯金を崩して、やり繰りをしたとの事でした。 ご主人は趣味に高じて家庭の事は相談者さんに任せっぱなしで ほとんど会話もない、、、 子育てを聞くと「子供は可愛いみたいです。たまに一緒に遊んでますから。」と。 一見、可愛がっているように聞こえますが、その「言葉」には子供の為に 「教育する」ようなもの、父親としての責任感がないものに感じました。 他にも色々聞きましたが、このご主人まぁ、あきません。 仕事はしているものの家賃だけ支払って後は自分の好きなように使い、 お給料がいくらあるかもしれないが、職業上は相談者さんの方がお給料は 良いらしいということです。 このように「家庭内別居」もあり、お姑さんがまたキツイ人で 何でも頼みごとを して来て、「やって当たり前」の態度との事で 謙虚さも有難みも感じない人のようです。 これだけを聞くと離婚しても経済的に問題がないし、 「離婚した方が良い」と私は思っていました。 でも占いをしないと結果は分かりません。 当方の占法、「無相」は相談者の 良い方向性 を示します。 「無相」で占った結果、離婚はいずれしても仕方ないが、「今」は数年がまんすべきだとなりました。 「無相