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本物の「占い師の本質」とは開運を示すことにあり

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どうも、こんにちは。 占いCafe&Bar 黒ねこさんの店主、大門です。 ブログをご覧下さいまして、誠にありがとうございます。 今年も、もう半年過ぎたんですね~、早いですね~。 さて、今回の「占い師の本質」についてですが、 何故それを正しく言えるかと言うと、 私は現在、中国から三千年続く占いの古流派、 其仙流(きせんりゅう)と いう占い教室に毎月一回、高知県まで授業を受けに通っています。 そこで教えてもらう事は「占い師としての正しい姿勢・在り方」なんです。 其仙流で哲学を学べば学ぶ程に其仙流は一流の占いだと確信し、 今は 本当の本物の「占い」の存在 を皆さんに知って欲しい! という使命感に燃えています。 それでは「本当」の、「本物」の占い師とはどういう人を言うのでしょうか? それを語る前にまず、私が何故占いをするように なったのかをお話させて下さい。 私は幼少の頃から母親が「不思議な話」をするので、見えない世界にとても興味を持っていました。 そのせいで街中で「占い師」という存在を知ると、 何故「見えない」未来を予測したり出来るのだろうか? その方法を知りたいとずっと思っていました。 学生の頃から「手相」「タロット」などの 本を読んでいました。 大人になると茶道を習っていた先生が偶然にも 「四柱推命」を教えているのを知って習いました。 やがて「四柱推命」は流派がいくつも存在していて、その流派によって命式の解釈が違い、如何様にもなるのだと「限界」を感じて、 「私には無理」となったのです。 その頃の占いに対してのイメージは 「 人が悩んで迷ったら助ける為のもの 」ではなくて、 「占う」という行為をして、それだけで結果を観る、 「決まっている未来があり、予測する」 「自分に今、運があるかないかをみる」 「今日は吉なのか凶なのか?」「性格を分析する」だけのものでした。 当然、それが占いだとし漠然と「占い師」に憧れ、 自分だけの独学で周りの友人や知人を占っていました。 そうこうしているうちに歳を重ね、いつしか占いもしなくなり遠い存在でしたが・・・ ある日、突然に「人を幸せに導ける占い師になり

ばね指になってしまった!

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こんばんは。 占いカフェ&バー黒ねこさんのオーナー、大門です。 わ~~~、また一カ月もブログを放置してしまいました(゚Д゚;) 別にほったらかしにするつもりはなかったんですけど・・・ つい、夢中になってしまうものがありまして、 ブログを後回し、(また明日ね・・・)と思ったら、一カ月も経過しちゃいましたよ💦 何に夢中になったかというとですねぇ~(;'∀') コロナで自粛要請、当然お店は閑古鳥です。 何かやらなきゃ・・・ で、勉強するには持って来い!! の状態なんですけど、なんせ覚えるのが苦手で初めは頑張って気合が入っていましたが。 だんだん自分の好きな事をしたい欲求に駆られまして~ やりたくなったのは編み物なんです。 小学校五年生の時に母親に棒針編みを教えて頂きまして、 楽しいと思いました。 それからせっせと編み物に精を出し、大人になった頃には セーターが編めるようになってました。 本を片手に編み図とにらめっこして、間違えてはほどきを 何度も何度も繰り返し・・・ 酷い時には半分以上編みあがってから間違えている事に気づきます。 最初は大きく間違えているとがっかりしながらも躊躇なくほどけるのですが。 小さな間違いだと(一か所ぐらい、目立たないよね)だとか、 (二週間も編んだのにほどくには辛いよね・・・)なんて思って そのまま編み上げた事がありました。 でもそうすると、後になってより大きな ツケ となるのです。 完成した作品を見るとやっぱり後悔が生まれますし、 なにより満足感が得られ無いのです 。 やっぱりトコトン試行錯誤して、苦労しながらも仕上げた作品には より愛着が湧きます。 それは、「 一生懸命生きる 」にも繋がっているようだと 編み物を通して思いました。 間違っていれば やり直せばいいだけ の事。 途中で気づいても知らないふりして進めば、 本質的に間違いを修正していることにはなりません。 「改める」勇気が必要なんです 。 挫けますが、歩むのを止めると「成長」が止まるのです・・・ ゆっくりでもいいから、自分の正しい道に進めば その先はきっと「生き甲斐」や「